雑談

田を作るより畔(あぜ)を作れ

IMG_9905-1(s).jpg

「田を作るより畔(あぜ)を作れ」ということわざが宮崎県にはあるそうです。「宮崎県のことわざ・格言」(宮崎県農業改良普及協会編、鉱脈社)には、「田を作るにはその前に畔を念入りに作っておけ。畔の善し悪しが、田の収穫量を左右することを言う。」と書いてあります。

 昔はほとんどの農作業の場で、人力に加え農耕馬や農耕牛が活躍していました。朝夕の時間帯に、牛車に乗った人や、田んぼの草取り機(回転式田草取り機)を抱えた人が、田んぼと自宅の間を行き来していましたが、現代は機械化が進み、その姿を見ることは無くなりました。

 それでも宮崎県の農業が、その豊かな自然の恩恵を受けながら営まれていることは今も昔も変わりません。「自然」と言っても、荒れ放題の自然ではなく、人の手により管理され、育まれてきた自然の美しさは、宮崎県の魅力の一つだと言ってよいのではないでしょうか。

 老健の利用者の方々の中にも、長年農作業に携わって来られた方も多いのではないかと思います。その頃の畔作りの話などを伺いながら、当時を振り返ってみたいと思う今日この頃です。

昭和90年

429日は昭和の日。今は平成に元号が移りましたが、平成27年、すなわち2015年は昭和90年に相当します。昭和元年は1225日から31日までなのですが、この年(大正15年と昭和元年)に生まれた方は今年卒寿(そつじゅ)を迎えられることになります。

001DSCN0562.JPG
002DSCN0561.JPG

写真は今から51年前の昭和39年に開かれた東京オリンピックの記念100円硬貨です。日本中が沸いた当時の様子を知る利用者の方も多いと思います。そして5年後の2020年には再び東京でオリンピックが開催されます。「元気に長生きして、みんなでオリンピックを応援しましょうね!」と利用者の皆様と話している老健スタッフも多いのではないでしょうか。

「温故知新(故きを温ねて新しきを知る)」という言葉もある通り、人生の大先輩である利用者の皆様から昭和に関する色々な事を教わるとともに、そこから今後の夢や目標などを語り合う、そんな有意義な昭和の日にしたいと思います。

さこざこかげるよ

IMG_0139-1.jpg

「もはや日暮れじゃ さこざこ 陰るヨー」

・・・というのは、ご存知宮崎県を代表する民謡「刈干切唄(かりぼしきりうた)」の2番の歌い出しです。

 このなかの「さこ」を広辞苑で調べると「さこ【谷・迫】(関西・九州地方などで) 谷の行きづまり、または谷。せこ」とあります。九州山地を西に拝む宮崎県の多くの場所では、太陽は山に沈んでいくわけですが、日が暮れるに従って、「さこざこ」が陰ってくる様子を「刈干切唄」は情感豊かに歌い上げています。「さこざこ(迫々)」なので、九州山地が作り出すたくさんの「さこ」のギザギザのように、この曲は細かい節回しと抑揚を駆使して歌われますがこれが大変難しいです。しかしそれゆえに聴く者に感動を与える名曲です。

 また、刈干切唄の2番は

「駒(こま)よいぬるぞ 馬草(まぐさ) 負えヨー

と続きます。つまり「もう日暮れだ、暗くなってきたな。帰るから馬草を背負えよ」と飼い馬に呼びかけているのですが、山村に住む人々のかつての暮らしぶりが目に浮かぶようで、その中からこの曲が生まれてきたと思うと、深い感銘を覚えます。

 海に沈む太陽もこれまた良いものではありますが、山々の向こうに静かに沈んでいく宮崎の太陽は郷土の宝物だと思います。利用者の皆様とこの「刈干切唄」を歌いながら、宮崎の夕陽を眺めてみてはいかがでしょうか。

ハートの雲

001IMG_9994-1(s).jpg

 「あの雲も いつか見た雲 ああそうだよ 山査子(さんざし)の 枝も垂れてる」・・・というのはご存知「この道」。作詞は北原白秋、作曲は山田耕筰。情景が浮かんできそうな美しい北原白秋の詞に、山田耕筰のゆったりとした優しい曲がピッタリとマッチした曲で、ことさら自然豊かな宮崎の屋外で、声も高らかに歌い上げるにはもってこいの名曲です。

 さて、写真は328日の昼前に浮かんでいた雲。何気なく見上げていると、何かの形に思えてきました。

 

002IMG_9994-1(s).jpg

なんだかハートの形に見えないでしょうか。そしてちょうどこのハートの雲が、太陽をすっぽりと覆い隠してしまっていて、ハートが輝いているようにも思えます。何だかハッピーな感じの雲でしたので、写真に納めておいたものです。

 雲は様々に形を変えるので、眺めていると面白い姿を見せてくれることがあります。天気が良い日には、利用者の皆様と屋外に出て、雲を見上げてみてはいかがでしょうか。「あの雲も いつか見た雲・・・」と歌いながら。

相手を生かす愛、相手をゆるす愛

 

IMG_6592(s).jpg

 「愛するとはね、相手を生かすことですよ」・・・。

 これは三浦綾子さんの小説、「ひつじが丘」に出てくる言葉です。主人公の広野奈緒実が、想いを寄せる杉原良一との結婚の許しを両親に願い出た際、母親の広野愛子が奈緒実に対し、このように述べています。

またこれに続いて、父親の広野耕作が「愛するとは、ゆるすことでもあるんだよ。一度や二度ゆるすことではないよ。ゆるしつづけることだ」とも諭しています。

  平成27年度の介護保険の報酬改定では、利用者の「活動」と「参加」に焦点が当てられ、そのためのリハビリテーションを提供していくことが重要視されています。介護を必要とする人が、住み慣れた自宅や地域社会で活動、参加していくこと、それは愛子の言う「相手を生かすこと」につながるのではないでしょうか。

 また今回の改定では認知症高齢者に配慮したリハビリテーションの促進も提唱されています。認知症の人にみられる不安や妄想、徘徊、興奮などの行動・心理症状(BPSD)はその人が発しているSOSのサインであり、これに対して「なんでそういうことをするのか!だめじゃないか!!」などといった理解不足や不適切なケアが症状を悪化させるばかりでなく、高齢者虐待につながりかねません。そうならないためには、症状が発生した要因や理由、目的などをその人ごとに考えていくことが大切ですが、その前提として耕作の言う「愛するとは、ゆるすこと」という考え方が重要なのではないかと思います。

「ひつじが丘」は昭和41年(1966年)12月に主婦の友社より刊行され、文庫本としては講談社文庫から昭和55年(1980年)915日に第1刷が発行された後、平成15年(2003年)428日に第58刷が出ていますから、それだけ多くの人々に愛読されているのではないかと思います。今回の改定が意図するところを深く掘り下げて考えるために、この作品をもう一度読み直してみたい・・・。そのように考える次第です。

ぶれないこと

IMG_9686(s).jpg

 北極星はすごいと思います。星の数ほど(!?)たくさんある星の中で、唯一ぶれずに北の空に浮かんでおり、この北極星を中心として、他のすべての星がぐるぐる回っています。

 ただし、この北極星も実際には微妙に動いて小さな円を描いているそうです。そして、そもそも実際に動いているのは地球なのですが、ともかく北極星のこの「ぶれなさ」は、見ならうべきものがあります。

 今年度介護報酬が改定され、各老健施設においても、その対応をはかっているところかと思いますが、地域の医療・福祉・保健の拠点として、そして利用者の在宅復帰、在宅支援施設として、ぶれることなくその役割を発揮していきたいものです。

この機会に、「介護老人保健施設の理念と役割」をおさらいしたいと思います。北極星のように「ぶれない老健」をめざす一助になればと思います。公益社団法人全国老人保健施設協会が毎月発行している協会機関紙、「老健」からそれを抜粋し、以下に記します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「介護老人保健施設の理念と役割」

 介護老人保健施設は、利用者の尊厳を守り、安全に配慮しながら、生活機能の維持・向上をめざし総合的に援助します。また、家族や地域の人びと・機関と協力し、安心して自立した在宅生活が続けられるよう支援します。

 

1.包括的ケアサービス施設

 利用者の意思を尊重し、望ましい在宅または施設生活が過ごせるようチームで支援します。そのため、利用者に応じた目標と支援計画を立て、必要な医療、看護や介護、リハビリテーションを提供します。

2.リハビリテーション施設

 体力や基本動作能力の獲得、活動や参加の促進、家庭環境の調整など生活機能向上を目的に、集中的な維持期リハビリテーションを行います。

3.在宅復帰施設

 脳卒中、廃用症候群、認知症等による個々の状態像に応じて、多職種からなるチームケアを行い、早期の在宅復帰に努めます。

4.在宅生活支援施設

 自立した在宅生活が継続できるよう、介護予防に努め、入所や通所・訪問リハビリテーションなどのサービスを提供するとともに、他サービス機関と連携して総合的に支援し、家族の介護負担の軽減に努めます。

5.地域に根ざした施設

 家族や地域住民と交流し情報提供を行い、さまざまなケアの相談に対応します。市町村自治体や各種事業者、保健・医療・福祉機関などと連携し、地域と一体になったケアを積極的に担います。また、評価・情報公開を積極的に行い、サービスの向上に努めます。

天に三日の晴無し

IMG_8010.JPG(s).jpg

「天に三日の晴無し」とは、「天気でさえも三日とは続きにくいのだから、人の身の上にも、よいことばかりが長く続くことはない」という意味のことわざです(『暮らしの中のことわざ辞典』、折井英治
編、集英社)。

 ところで、県内の日照不足が深刻です。411日の宮崎日日新聞によると、4月上旬(1日から10日)の県内は前線などの影響で天候不良が続いているそうです。3月下旬は晴天に恵まれ、日照時間は平年より多かったものの、43日ごろから南九州付近に前線が停滞。低気圧が通過したことで雨や曇りの日が続いたとのこと。これにより野菜の生育が遅れたり、大雨による道路のり面の崩壊や列車の運行への影響が出ているそうです。そして宮崎地方気象台によると、「本県を含む九州南部は向こう1か月、平年に比べて晴れの日が少ない見込み」と紹介されていました。

 「天に三日の晴なし」のことわざの示す通り、良いことばかりが続くわけではありません。それに加えて実際に生じている天候不良。老健施設に勤める者の一人として、利用者のリスク管理、体調管理に万全を期しながら、宮崎らしい青空が広がるのを待ちたいと思います。

郵政記念日

 

IMG_8043(s).JPG

 420日は郵政記念日。1871年のこの日、それまでの飛脚制度から郵便制度が始まったことを記念して設けられました。

ネット社会となった今は、メール(email)などですぐに意思のやりとりができますが、郵便の場合、手紙を出す方はまず手紙を書いて、あて名、住所を書いて、切手を貼って、ポストまで行って、ポストに投かんするわけです。それが文通相手に出す手紙だったり、はたまた想いを寄せる人への恋文だったりすると、「ああ、いつごろ届くだろうなあ?読んで喜んでくれるだろうか?あんな文面で良かったかなあ?返事は来るだろうか?返事にはどんな事が書いてあるだろうか?」などといったことを、数日間かけて考えたりしたわけです。

 「南の丘を はるばると
郵便馬車が やってくる・・・」で始まる、岡本敦郎さんが1951年(昭和26年)に歌って大ヒットした「あこがれの郵便馬車」という名曲があります。インターネットはもちろん、電話もあまり普及していなかったこの時代、通信の主役は郵便だったわけです。この曲の中で人々の想いを込めた手紙を運ぶのは馬車。しかも一日に一度、南の丘を越えて、レモンの花の咲く道を通り、そしてはるばる峠を越えてやって来るのを、村の若者が待っているのです。それも”パッカパッカ”という馬のひづめの軽い響きがやって来るのを、耳を澄ませて聞いているわけですから、若者達のワクワク、ソワソワはただならぬものがあったのだろうと察することができます。夢と愛にあふれたうれしい便りの数々を乗せて、今日もやって来る郵便馬車。その便りの一行一行、一文字一文字を何度も繰り返し読んで心が満たされた若者は、これまた一行一行、一文字一文字に心を込め、推敲(すいこう)を重ねて返事の便りをしたためることでしょう。そしてその便りを乗せた郵便馬車がパッカパッカと去って行くのを見送りつつ、またの便りがくるまでの数日間、首を長くして待つことでしょう。

 これが現代だと、スマホでメールを送ればすぐに相手に届き、そしてすぐに返事が戻って来ます。写真だってその場で撮ってすぐ送れるし、仕事での連絡や書類の受け渡しもできるし、テレビ会議もできて大変便利です。郵便馬車にはとても真似できない芸当です。しかし便利さゆえに様々な問題が生じてきているのも周知の通りですし、一文字一文字に込める言葉の重さも変わってきたのではないかと思ったりもします。

 郵便とメール。それぞれに一長一短があるのではないでしょうか。老健施設の利用者の皆様に、かつての郵便に関するあれこれを教えてもらいながら、考えてみる機会にしてみてはいかがでしょうか。「あこがれの郵便馬車」を聴きながら。

雲間のレール

IMG_7998(s).jpg

 「雲間のレール」と名付けたこの写真。昨年の86日の昼過ぎに撮影したものです。モコモコした2つの雲の間を、飛行機が通過したわけですが、それがちょうどレールのように見えたものですから、このように名付けました。

 「レール」と呼ぶからには、そこを走るのは列車。そしてこの突き抜けるような青空を走るのは、ブルートレインをおいて他にはありません。Wikipediaによると「客車を使用した寝台列車を指す愛称」であるブルートレイン、略して「ブルトレ」。かつて「ブルートレインブーム」も巻き起こり、全国の鉄道ファンに愛されました。寝台車の狭いベッドで、「ゴトンゴトン」というレールの継ぎ目の音(転動音)を聞きながら熟睡するのは少々大変で、寝相が悪くてベッドから落っこちる人もいました(経験者談)。だけど目的地に行くことだけが目的でなく、目的地に行くまでの道のりを楽めるのもブルートレインの醍醐味。ゆっくりと過ぎ去る風景を眺めたり、駅弁を楽しんだり、隣り合わせた人と会話に話がはずんだりして、ブルートレインの旅は楽しいものでした。

 しかし現在、全国あちこち(ただし宮崎を除く)に新幹線が整備され、各地の移動時間が大幅に短縮されてきました。そしてなんと共同通信によると、「青い塗装の寝台特急『ブルートレイン』が2015年度末までに全面廃止される方向で検討されている」とのこと。客車の老朽化や乗客の減少などにより、存続がむずかしくなったためだそうです。車中で宿泊する必要もないほどに交通手段が向上したのは喜ばしいことですが、その一方で、便利残念な思いをしている鉄道ファンも少なくないのではないかとも思います。

 それはさておき、「雲間のレール」が雲と雲とをつなぐ橋渡しをしているように、老健施設は病院と自宅、さらには地域社会とをつなぐ橋渡しをする中間施設。他職種がそれぞれの専門性を活かしながら共同してケアにあたり、自宅や地域社会へ復帰し、そこで生き生きとした生活ができるようサポートしきたい、そして老健は利用者の夢や希望や目標を乗せていつまでも走り続けるブルートレインでありたい・・・空を見上げながら、そのように考えた次第です。

生きることは避けられない

IMG_9877-1(s).jpg

 「死と同じように避けられないものがある。それは生きることだ」と行ったのはイギリスの喜劇王、チャールズ・チャップリン。今から126年前、1889416日に誕生しました。日本では明治22年。51日に東京市が誕生した年です。

 不世出の喜劇役者であり、映画監督であるチャップリン。しかしその作品はいずれも抱腹絶倒するばかりではなく、涙や怒り、社会風刺などが庶民の目線から盛り込まれていて、そして何と言っても大きな感動を呼び起こす、素晴らしいものでした。

 映画界随一の完璧主義者と言われた彼は、わずか3分のシーンのために1年以上の歳月をかけたこともあるそうですが、それだけ映画にかける並々ならぬ思いがあったのだと想います。

 「死と同じように避けられないものがある。それは生きることだ」・・・。このようなチャップリンが言ったこの言葉ですから重みがあります。彼もこの信念に基づき、数々の作品に魂を吹き込んでいったのではないでしょうか。

 アメリカの心理学者、エリクソンは老年期を「人生を完結する重要な時」として、その発達課題を「統合性」としました。これまで生きてきた歴史を振り返り、その良かったことも悪かったことも、自らの歩んだ道として受け入れ、自己を肯定的に統合することで、心の安定が得られるわけですが、それが得られないと絶望感に陥りかねません。

 老健施設で働く者の一人として、老年期を過ごす老健の利用者の話に耳を傾け、その生き様に尊敬をはらいながら、統合性が獲得できるようサポートしたい。そして利用者が生き生きと生活できるようケアをしていきたい・・・。チャップリンの言葉を反すうしながら、そのように考えた次第です。

最近の投稿

アーカイブ

カテゴリー

老健みやざきFacebook

TOPへ