雑談

どこへ行った?宮崎の青空

 宮崎の夏とくれば、青い空、青い海!!・・・と言いたいところなのですが、今年はどうも違うヾ(ω` )/。そう思っていたところ・・・

 813日に宮崎気象台が「日照不足と長雨に関する宮崎県気象情報第1号」(http://www.jma.go.jp/jp/kishojoho/351_05_830_20140813063007.html)を発表しました。これによると「宮崎県では731日頃から曇りや雨の日が多く、日照時間が少なく、降水量の多い状態が続いています。この状態は、今後、10日間程度は続く見込みです」とのこと。

 これに続いて各市町村の日照時間と降水量のデータ(7/31から8/12)が掲載されていました、日照時間はどこの地域平年と比べて20%から30%割程度の日照時間しかありません。20%割に満たないところもありました。どうりで宮崎らしい青空を拝む機会が少ないはずです。一方降水量はというと、例年の約260%から500%という驚くべき数値を示していました。

 このことは観光地宮崎にとって痛手であることはもちろん、農作物への影響も懸念されます。また私たち老健施設に勤める者にとっては、利用者の体調管理を普段以上に徹底していく必要があるとも言えます。

 そして予断を許すことができないのが自然災害。819日の未明、広島市で起こった大規模な土砂災害は、これが現実のことなのかと目を疑いたくなるような惨状で、被災された方々におかれましては、心よりお見舞い申し上げます。

 災害弱者たりうる利用者を抱える老健施設に勤める者の一人として、今何ができるのか?何を想定し、何を備えるべきなのか?今後の気象データや、ニュース、各種発表はもとより、実際に身の回りに生じる様々な出来事にも注意を払いながら、利用者のかけがえのない命を守っていかなければならないと思わずにはいられません。

IMG_6584.jpg

大自然の力

 昨日のブログでは「台風11号の爪痕」と題し、89日(土)夕方における大淀川の様子(宮崎市)を紹介しましたが、これを撮影した午後5時過ぎから約2時間過ぎた午後7時過ぎ、西の空にはこのような光景が見られました。

 

IMG_8030.jpg
IMG_8031.jpg

このような黄金色の雲が、ものすごい早さで南方向に流れていました。

 台風11号が各地に大きな被害をもたらしたことを考えると、綺麗とはとても思えず、むしろ不気味に感じながらシャッターを切りました。

 もう台風は発生して欲しくないし、発生しても来て欲しくないと思うのですが、まだまだ8月。今後も台風への備えを怠ることはできません。人間の力ではコントロールできない、大自然のちからのものすごさを痛感した光景でした。

もう8月

 光陰矢のごとし、歳月人を待たず、Time and tide wait for no man ・・・。いやはや、もう8月とは(≧◇≦)2014年はこれまでの年よりも短いのではないか?と思いたくなるほどの早さで8月になってしまいました。今年もあと5ヶ月となってしまったわけです。

 とはいうもののこの暑さ、まだまだおさまるものでは到底ありません。利用者の熱中症対策はこれからますます重要になってきます。

 

環境省熱中症予防情報サイト(宮崎県)

 

厚生労働省熱中症予防情報サイト

 

 上記リンクなどをご参照の上、利用者の皆様はもちろんのこと、日々のケアに当たる私たち自身についても、熱中症の予防に努めましょう。

 

 一方、台風11号、12号の動きも懸念されます。

 

気象庁台風情報(http://www.jma.go.jp/jp/typh/)

 

国土交通省川の防災情報(http://www.river.go.jp/nrpc0302gDisp.do?areaCode=89)

 

宮崎河川国道事務所(http://www.qsr.mlit.go.jp/miyazaki/)

 

MRT宮崎放送警報・注意報(http://mrt.jp/weather/keiho/)

 

宮崎県災害関連情報(http://www.pref.miyazaki.lg.jp/index/category/03_saigaijokyo.html)

 

宮崎県の雨量・河川水位観測情報

 

宮崎県の雨量・河川水位観測情報(http://kasen.pref.miyazaki.jp/)

 

 情報収集、危機管理を強化し、早めの対応をお願いします。

勝負は負けたときから

 「勝負は負けたときから始まる。弱さを知ったとき、己の成長が始まるんだ。人並みやっていたら、人並みにしかならない」と言ったのは柔道家の神永昭夫氏(「人生の指針が見つかる『座右の銘』1300」、別冊宝島編集部 編、宝島社)。

 世界中が湧いたW杯サッカー。そして日本中の期待を背負って戦ってくれたザックジャパン。残念な結果には終わりましたが、”勝負は負けたときから始まる!!”まさにその通りだと思います。この無念な気持ちをバネにして、ここからより強い日本サッカーを築き上げていって欲しいと願っているのは私だけではないはず。選手達の帰国を空港で暖かく迎えたファンの姿をテレビで観ながらそう確信しました。また世界中を驚かせたゴミ拾いをするサポーターの姿は誇らしく思いましたし、このような取り組みのひとつひとつが、日本サッカーをより強くしていくはずだと感じました。

 新しい監督も決まり、「己の成長」に向けてすでに動き始めた日本サッカー。その頑張りを応援しながら、私達自身も努力していきたいと思っている今日この頃です。

さぼてん

 729日の誕生花はサボテン。花言葉は「燃える心」で、いかにもこの季節にふさわしい植物です。漢字では「仙人掌(せんにんしょう)」とか「覇王樹(はおうじゅ)」などと書き表します。

 中高年の宮崎人でサボテンとくれば、「サボテンハーブ園」を連想する人も少なくないのではないでしょうか。1937年に「サボテン公園」として日南市富土(ふと)の国道220号線沿いにオープン。小弥太郎峠の丘、50万坪の敷地に130万本のサボテンが出迎えると、観光客はその異国情緒たっぷりの風景に圧倒されたものです。そして展望台から眺めると、そこは眼下いっぱいに広がる日向灘。他県では拝むことができない景勝を見ようと、かつてはバスや自動車がひっきりなしに立ち寄っていたものです。施設内のレストランではサボテンのステーキも堪能でき、サボテンハーブ園は、観光宮崎を代表する施設の一つで、県民の一人として誇らしく思っていたものでした。

 しかし、68年間で4500人が来場した同園は、2014年の331日をもって惜しまれながら閉園してしまいました。観光宮崎の灯火が一つ消え、寂しい思いをしたあの日から、もう9年以上が経ってしまいました。月日の過ぎるその早さに驚かされ、寂寥(せきりょう)の感もひとしおなるものがあります。

 729日の誕生花はサボテン・・・「宮崎にサボテンハーブ園あり」と、今一度脚光を浴びる日が来ないものかと思った次第でした。

夏なんですねー

 梅雨が明けたその途端、宮崎には本格的な夏が到来しました。いかにも宮崎らしい「ギンギンギラギラの太陽」、「もんもんもこもこの入道雲」・・・。そんなフレーズがぴったりのこの時期の歌と言えば、そう、その名もずばり「夏なんです」。

これは細野晴臣、大瀧詠一、松本隆、鈴木茂という、超豪華メンバーによるグループ「はっぴいえんど」が19711210日にリリースしたシングルレコード「花いちもんめ」のB面に収録されていた名曲。12月の発表で、しかもB面というのは驚きですが、それから43年経った今もなお、夏になれば必ず耳にします。

国語の教科書に取り上げられても不思議でない松本隆のすばらしい歌詞を、作曲でボーカルの細野晴臣が気だるく歌い上げて、あまりの暑さに時間の流れも遅くなったような感じを、これでもかというくらい伝えてきます。夏をテーマにした歌はたくさんあり、その多くがスカッと吹き抜けるようなイメージであるのに対し、この「夏なんです」は異彩を放っているように思います。

 この「はっぴいえんど」というグループの活動期間は1969年から1972年までのわずか3年間でしたが、その後の各メンバーの活躍ぶりは今さら紹介するまでもなく、現在の日本のミュージックシーンに大きな影響を与え続けています。

 しかし残念なことに、メンバーの一人、大滝詠一さんが昨年の1230日、突然の他界。その訃報に多くの人が驚き、悲しみました。大滝さんの代表曲の一つ「さらばシベリア鉄道」の歌詞にあるように、「12月の旅人」になってしまわれたのでしょうか。
 その大滝さんの誕生日が1948年の728日。ご存命であれば今年66歳、緑寿(ろくじゅ)の節目を迎えていたところです。早すぎる、そして突然の旅立ちが残念でなりません。

 今年ももちろん聴いている「夏なんです」。これまでの夏と比べて、すこししんみりした気持ちになりますが、大滝詠一さんを偲ぶとともに、たくさんの名曲を残して下さったことに感謝しながら、曲にひたりたいと思います。

できるということ

One of the greatest discoveries a man
makes, one of his great surprises, is to find he can do what he was afraid he
couldn’t do.

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1人の人間にとって偉大な発見であり大きな驚きのひとつは、できないと思っていたものができることを知るときだ」

 

・・・このように言ったのはアメリカ自動車産業の父、ヘンリー・フォード(Henry Ford, 1863-1947)。

 「歩けなくなった」、「ご飯が食べられなくなった」、「トイレがひとりでできなくなった」、「買い物に行けなくなった」・・・などなど、老健施設で働いていると、加齢とともに利用者の心身の機能が衰え、「それまでできていたことができなくなってしまった」という場面に少なからず遭遇します。「できない」という現実をつきつけられ、それに対するあきらめや悲嘆、怒りなどが引き金となって更なる「できないこと」へとつながり、連鎖反応的に色々な事ができなくなってしまうような事態は絶対に避けなければなりません。

 だからこそ老健施設には様々な専門知識・技術を有するスタッフがいて、各々の専門性を発揮しながら、総合的かつ継続的なケアを提供することが求められているのだと思います。したがって、他職種の連携を密にし、利用者本位のケアプランに基づく統一したケアを行っていくことが必要です。そして人的、物的、社会的といったあらゆる環境を有機的に整備することで、「できない」と嘆き、悔やんでいたことを「できる」という喜びに転じることができれば、それが更なる「できること」へとつながっていくのではないでしょうか。

 そのためにはやはり「他職種連携」がキーワードです。連携を密にして、「真の老健力」を発揮し、利用者ひとりひとりの「できること探し」の大航海に乗り出しましょう。そして「偉大な発見と大きな驚き」の島にたどり着くことができれば、それは利用者にとって大きな生きる喜び、新たな生き甲斐へと必ずやつながっていくものと信じています。

お寒い話

 721日は海の日。学校は夏休みに突入し、県内外では海開きがあり、ビーチには黒山(って今言うのかな?)のような人だかりができているのではないでしょうか。暑さも本気モードになってきましたので、涼しい話題で暑気払いを。

 1983年の721日はものすごく寒い日でした。といっても日本ではなく、南極はボストーク基地の話。その時に観測された気温はなんとマイナス89.2度(゜◇゜)。とても想像がつきません。南国宮崎に住んでいると、「氷点下」と聞くだけでもブルブル震えてしまうくらいなのに、マイナス89.2度ですから(>_<)。ちなみにマイナス75度の冷気でゴキブリを凍死させる殺虫剤がありましたが、それよりさらに厳しい寒さですから、ゴキブリはもちろん、あらゆる動物がカチンコチンになってしまうのではないでしょうか。

 このマイナス89.2度という記録は2010810日、同じく南極大陸の東部でマイナス93.2度という、これまた桁外れの寒さが観測されるまで、世界最低気温でありました。

 日本が夏の今日この頃、南極大陸は冬。今もやはりものすごい寒い日々が続いていることでしょう。その冷気のいくばくかを日本に瞬間移動させることができれば、クーラーなど使わずに涼しく快適に過ごせるのに・・・。そう思っている人は私だけではないはず。実際にそういう研究も世界のどこかで進められているかもしれません。

 ここまで読んでいただいて、少しは涼しくなりましたでしょうか(^^;)。ちなみに、「世界で最も暑い(熱い?)気温の記録というのもあります・・・が、今日の所はやめておきましょう。とにもかくにも、高温・多湿の日々が続きます。冷房の効率的活用、水分補給など、利用者の体調管理に努めて参りましょう。

盆踊りよ永遠に

 ようやく梅雨も明け、いよいよ夏本番モードになってきた718日です。各地で夏祭りもにぎやかに行われるようになってきました。

夏の風物詩とくれば盆踊り。「出端(では)」を踊りながら入場、円陣が出来上がると「手踊り」、「四つ竹」、「尻振り」、「やっとせ」などを、唄と三味線、そして太鼓などにあわせてみんなで踊り、そして「引き端(ひきは)」を踊りながら退場。かつては浴衣姿の”盆踊り隊”が初盆の家々を中心に歩いて回っては、これら一連の踊りを舞って精霊を迎え、慰めていました。暑い中にも涼しさを感じ、いかにも「日本の夏」という光景でした。

ところが今をさかのぼること511年前。1505年の718日、室町幕府が民衆の娯楽として京都市内で流行している盆踊りを禁止したのだそうです。詳細はわかりませんが、当時の人々はさぞかし残念な思いで行く夏を惜しんだことと察します。そして現在、2016年の夏がやって来ました。禁止されているわけではもちろんないものの、盆踊りで家々を回る光景はあまり見かけなくなり、少々寂しい思いがします。

しかし人生の大先輩である老健の利用者の皆様に尋ねると、かつての盆踊りの様子を克明に教えて下さいますし、実際に歌って踊ってみせて下さったりします。こういう時に「老健で働いていてよかったな」と感謝の気持ちでいっぱいになります。歌も踊りもマスターして、一緒に歌い、踊ってみたい、そして後生に伝え残していきたい・・・。718日を迎えるにあたり、そのように思った次第でした。

転びやすい「ぬ・か・づけ」

 「『ぬか漬けが転びやすい』とな!?そりゃあ壺が不安定だからじゃわ。どっしりした壺に替えればいいとよ」・・・って、そういう話ではありません。74日の宮崎日日新聞の「くらし・健康」欄に掲載されてた非常にショッキングな記事です。

 「転倒で死亡 7000人超」と見出しのあったその記事、まさにその通り厚生労働省人口動態統計によると、2012年における転倒・転落による死亡者が7761人に達し、これはじわじわ増加しているのだそうです。

これに対して交通死亡事故は1995年に15000人だったのが、2012年には6414人と半分以下に減少しているとのこと。つまり現代は交通事故死より転倒・転落死が多くなっているということです。さらにそのうち「大半が65歳以上の高齢者」とあっただけでなく、「死亡に至らない場合でも、転倒は重い障害や骨折、寝たきりの原因にもなる」と書いてありましたから、老健施設に勤める者の一人として看過できない問題だと思いました。

 このような現状の中、日本転倒予防学会(武藤芳照理事長)が今年4月に発足したそうです。そして武藤理事長が指摘する「転びやすい場所」こそ標記の「ぬ・か・づけ」。「『ぬ』はぬれた所、『か』は階段と段差、『づけ』は片付けていない所」・・・。まさにその通りです。入所利用者が施設内で生活する際はもちろんん、在宅復帰のめどが立ち、家屋の状況を調査し、住宅改修などの環境整備を行う上で、この「ぬ・か・づけ」を常に念頭に置いておきたいと思います。

 武藤理事長によると、「一般に50歳を超えると転びやすくなる人が少しずつ増える」とのことであり、介護予防の一環としても要介護者や要支援者のみならず、広く地域住民を対象にした働きかけが必要で、そのために行政機関などと連携した老健施設の取り組みが重要だと痛感した記事でした。

最近の投稿

アーカイブ

カテゴリー

老健みやざきFacebook

TOPへ