雑談

オリンピック開幕

727日です。バルセロナオリンピック女子水泳200メートル平泳ぎで、14歳の岩崎恭子選手が金メダルの栄誉に輝いたのは1992年の今日。今からちょうど20年前のことでした。興奮と驚きとが入り交じって、日本中が大騒ぎとなりましたが、もうそんなに経ってしまいましたか・・・。

そして2012年。ロンドン五輪がついに始まります。開会式は明日の4時半からですが、サッカー予選は既に始まっていいて、何と男女とも白星スタート!!ワクワク、ソワソワです。13日朝の閉会式まで、眠れない日々が続くことが予想されます。

何と言っても日本とロンドンとの時差は9時間!<(_ _)>(※サマータイムで8時間)。こりゃあ辛いですわ。何で時差なんかあるんだろうか!と今さらながら恨めしく思ってしまいますが、フォーリーブスから「だって地球は丸いんだもん!」と諭されそうです。え?知らない☆=>=>=>(+_+。)

ともかく開幕です。頑張れニッポン!!です。応援するのに老若男女は関係ありません。みんなで応援しましょう。ただし、このオリンピック、人々に感動と興奮を与えるだけにとどまらず、今回は先述の通り時差9時間!!寝不足をもたらす事が予想されます。利用者様の健康管理は当然のことながら、私たち自信の体調にも万全を期しましょう。金メダルに酔いしれて、「ふぁーっ、金メダルのおかげで、勤務だるー」ということに陥りませんように。・・・一応説明しておきますと、”金メダル(きんめだる)“と”勤務だる(きんむだる)“をかけているわけですな・・・ダメダコリャ(>_<)

斧の柄は朽ちない

 「イチバーン!」と雄叫びをあげていたIWGP王者、ハルク・ホーガン。必殺技はもちろん”アックスボンバー“。右腕をまさしく斧のように構えて猛ダッシュ。アントニオ猪木をリング下に沈めたシーンは衝撃的でした。

 そのハルク・ホーガンも、これには「オーマイガッ!アックスのハンドルがディケイしないとはミステリアスね」と驚くかどうか!?そんなすごいニュースがありました。それも我らが宮崎県で。

 76日付けの宮崎日日新聞によりますと、宮崎市の中須遺跡から木製の柄がついた石斧(せきふ)が出土したとのこと。それがなんと2000年前のものですよ!柄がついた状態での出土は県内初!!九州でも3例目というからすごい発見です。そのすごさは、ことわざさえも平伏するほどです。

 そのことわざは「斧の柄朽つ」。広辞苑には「わずかな間と思っているうちに、長い年月を過すこと」とあります。なんでも「述異記に『晋の王質が木を伐りに山に行って、仙童の囲碁の一局を見終らないうちに斧の柄が朽ちているのに驚いて、村に帰ると、知人は皆死んでいた』とある故事に基づく」というれっきとしたことわざです。

 それがですよ。2000年経っても柄が朽ちていないときたもんですからびっくりです。このことわざ、もう本来の用い方はできないかも。つまり、「斧の柄朽つ」とは、「斧の柄が朽ちるくらい、ものすごーーーーーく長い年月が経ってしまうこと。なお、2000年では斧の柄は朽ちず、さらに長い長い長い年月を要する」というふうに(-_-)

「発掘場所が水分を多く含み、木材が腐りにくい環境だったことなどから保存状態がよかった」と記事にはありましたが、この石斧を作った弥生時代の人も、そこまで長持ちさせようと思って作ったわけではないでしょう。いずれにせよ、古事記編さん1300年で盛り上がっている本県だけに、今回の大発見は、いにしえへのロマンが一層加熱すること間違い無しですね。

ついに梅雨明け!!

  ついに、ついに梅雨明けしました?(o)/!23日午前11時のニュースでその一報が飛び込んできました。

 思えば今年は、「九州南部は64日ごろに梅雨入りしたと見られる」と宮崎気象台の発表がありました。これは平年の「531日ごろ」と比べると4日遅く、昨年の「523日ごろ」と比べると、なんと2週間近くも遅い梅雨入りだったわけです。ですから梅雨明けは少々遅いかも?と思ってはいたのですが・・・。

 その梅雨明け、平年は「714日ごろ」だそうですから、単純計算で718日には梅雨明けしてくれてもいいはずと思っていたのですが、結局平年より9日遅くなってしまいました。昨年の梅雨明けはなんと78日!それとくらべると半月も遅かったわけです。どうりで長いはずです。

 実は23日早朝発表のweathernewsのホームページ。宮崎県の天気予報(http://weathernews.jp/map/html/miyazaki.html)にこんなくだりがありました。「今日も雲が多く、モワッと蒸し暑い空気が充満…。にわか雨の可能性があるので、お出かけの際は折りたたみ傘があると安心です。この天気が回復すれば、ようやく夏本番の到来です」・・・。これはひょっとして、いよいよ梅雨明けするということか?と大いに期待していたのですが、見事にそれが的中してくれました。

 とは言うものの、喜んでばかりはいられません。これから気温がぐんぐん高くなってきます。室内でも熱中症の恐れがあることは周知の通りです。ましてや計画停電が無いとも限りません。宮崎県の空と緑と太陽のもと、今まで以上に気を引き締めて、利用者様の健康管理に努めましょう。

地団駄(じだんだ)

 ムシムシ、ジメジメ、暑いです。ああいやだ、いやだやだやだ、ああいやだ。などと詠んでみても暑いです。あづいよー、あづいよー、かき氷食べたいよ?、と地団駄を踏んでいると、余計に不快な気持ちになるのですが、地団駄を踏んでいる己の姿にふとした疑問が湧いてきたのです。「ジダンダを踏むって何だろう?」と。

 ”ジダンダを踏む”すなわち”地団駄踏む”を広辞苑でひもとくと「怒りもがいて、またくやしがって、はげしく地面を踏む」とあります。つまり不快な場合に踏むものではないのですが、気になるのは「地団駄」。同書では「じ?だんだ【地団駄・地団太】‥ジタタラ(地踏鞴)の転」とあります。そしてこの「たたら(踏鞴)」も同書にありました。すなわち「たたら【踏鞴】(1)足で踏んで空気を送る大きなふいご。地踏鞴」と。

 つまり送風機です。宮崎駿監督の名作「もののけ姫」をご覧になった方ならピンと来ることと思いますが、「たたらば(踏鞴場)」で女性達が縄につかまり、調子を合わせながら、みんなで踏んでいたやつ。あれが「たたら(踏鞴)」なのです。ああやって風を送っていたわけです。ちなみに先日のこと、某テレビ番組で世界最強の送風機が出てきて、これまた最強のシャッター(の補強材)と対決していましたが、その風速たるや、毎秒80メートルを超えていましたね。すごいです。ぶっ飛びです。ただし、その対決、どちらが勝利したかはここで申し上げる事を控えさせていただきますが・・・。

 さて、節電の夏です。私たち老健施設に勤める者としては、利用者様の体調管理のために、冷房の使用は不可避ですが、より効率的な温度管理をはかるために、扇風機はもとより、サーキュレーター、うちわ、扇子など、必要に応じて適切な送風機を使用しながら、この夏を乗り切って参りましょう。

明けの明星綺麗です

 「明日早出なんだけど、早起きって苦手なんだよなあ(+o+)」という老健職員の皆様に、ちょっとだけ早起きが楽しくなるかな?という話題です。

DSCN2105.JPG  写真は日の出前の東の空を撮影したもの(76日午前430分頃撮影)です。明るい2つの星が輝いているのがおわかりいただけますでしょうか。下のまぶしいのが金星、そしてその上で金星よりちょっと暗いのが木星です。また、写真ではわかりませんが、金星の下にはおうし座の目の部分にあたる赤い一等星、アルデバランも見えます。同じく、写真ではわかりませんが、木星の上には「すばる」ことプレアデス星団も見えて豪華です。さらにさらに、714日から16日にかけては、これに細い細い下弦の月も加わってきます。一番の見ごろは15。上からすばる木星アルデバラン金星という千両役者達がずらーっと並びますからこいつはゴージャス(^_-)-☆。

 宮崎では残念ながら拝めなかった金環日食。しかしそれだけが天体ショーではありません。早起きして谷村新司さんの名曲「昴」に耳をかけながら夏の星々の「座長大会」を満喫してみてはいかがでしょうか。

 なお、その美しさについつい見とれてしまい、気が付いたら早出業務に遅刻してしまったΣ(゚д゚lll)・・・となったとしても、当協会としては責任を負いかねますので申し添えます。

のばせばのびる

 「のばせばのびる カツレツの肉よ のばしてのびない月末の払い・・・」と歌いだすのは楠木繁夫の名曲、というかコミックソング「のばせばのびる」です。作詞は江川真夫、作曲はなんとあの昭和の大音楽家、古賀政男です。1937年(昭和12年)ですから、知らない人の方が多いかなあ・・・。

 さて、その「のばせばのびる」をふと口ずさんでしまったのは、67日の宮崎日日新聞の記事を読んだ時のことでした。その見出しには「万里の長城21196キロに 総延長12000キロ増」とありました。唖然、茫然です。

 あの世界遺産である万里の長城を、中国国家文物局が調査したところ、これまで発表されていた8851.8キロよりなんと約12千キロ長い、21196.18キロにのぼることがわかったとのことです。もはや地球の半周以上ではありませんか。「のばせばのびる」と言っても、これはすごすぎますね。

 だけど、人間の可能性だってそれ以上に「のばせばのびる」のではないでしょうか。老健の利用者様はもちろん、老健施設に勤める私たちだって、無限の可能性を秘めていると思います。リハビリテーションを通じて「生活機能の維持・向上をめざし総合的に援助」することを理念と役割としている老健施設にとって、その可能性をのばすことは、使命と言っても過言ではありません。

中国には「後世畏べし(こうせいおそるべし)」という素晴らしいことわざがあります。これは「後世は先生の反対で、後輩、若者。若い人たちはこれから、どんなに出世するか、どんな偉大な人になるかわからない」という意味です(「日本・世界の『ことわざ』おもしろ辞典」、村石利夫、日東書院)。だけど、後世だって先生だって「のばせばのびる」と思います。万里の長城を見習って、みんなでどんどんのばそうではありませんか。そうです!カツレツを食べながら。「のばせばのびる」を歌いながら(^O^)

け、けくりかえしはえるとけ?

 宮崎県において「け」は言葉の前にも後ろにもつけて用いられます。「新宮崎市方言辞典」(江南書房)をひもといてみましょう。

(1)「け」(=けぇ):動詞に冠し語勢を強め、感情を強く表現する。例「ケ忘れた、ケ捨てた」。

(2)「け」:終助詞「か、かい」に相当。例「どんげなるちゃろケ(どうなるだろうか)」。

 

 これを踏まえて、418日付日本経済新聞の目を疑うような記事の話です。「何度も生え替わる毛 再生」という見出しが飛び込んできました。東京理科大などが、マウスを使った実験で、毛包という組織を培養し、自然に生え替わる毛を再生することに成功したというのです。人工植毛でもカツラでもありません。自然の毛です。しかも、周期的に何度も繰り返し生え替わるばかりか、どんどん増やせるそうです。とどめとばかりに「人間の大人でも毛髪を増やすことは可能」との研究チームのコメント。こりゃあすごい(≧◇≦)!この記事を読んで飛び上がった人も少なからずいたのではないでしょうか。10年後には再生医療として実用化したいとのことで、これは何だか世界を一変してしまうような予感がするニュース。「髪の毛が、そんなに何度も何度も繰り返し生えるとは本当だろうか?」と叫んでしまいました。ん?ちょっと待って!プレイバック、プレイバック(゜◇゜)。

 ふと「『髪の毛が、そんなに何度も何度も繰り返し生えるとは本当だろうか?』ということを宮崎弁で語ればどうなるだろう?」という思いが頭をよぎりました。そこで、上記(1)および(2)を用いて作文してみました。それが本日のタイトルです。

 「け、けくりかえしはえるとけ?」。つまり「毛、け繰り返し生えるとケ?」。うーん、ちょっと辛いですね。「毛がいっぱい」という意味を込めて「け」を3回使ってみたのですが・・・。どこが辛いか?それは「け繰り返し」の部分です。「繰り返し」に「け」はつけないですね。それどころか、「けくりかえす」は「蹴くり返す」、すなわち「蹴る、蹴飛ばす」という意味の宮崎弁になってしまいます。というわけで「け、けくりかえしはえるとけ?」は却下。無念。

 それはともかく、特に男性にとって、毛髪との別れを喪失体験の一つととらえれば、そのショックは少なからぬものがあると言えます(個人差があるでしょうが)。それが今回の研究成果によって解決できるとすれば、高齢者のみならず、多くの年代層の薄毛に悩む人にとって、垂涎ものの朗報と言えるのではないでしょうか。

先入観は厄介者

  420日の日本経済新聞、一面の「春秋」を読んで、少なからぬ衝撃を受けました。「ものを見るとき、人を見るとき、先入観ほど愛想のいい厄介者はいない」とあったのです。そして文はこう続きます。「これさえあれば見ずして見たような気になれるのだから」。

 この日の「春秋」は、東京で開かれている「セザンヌ展」がテーマでした。セザンヌは先入観や想像力を嫌い、「色はまるで自分たちが望んでいる通りに、気ままに折り合いをつけていく」というそのままの色を画布にのせ、作品にしていったのだそうです。作品を見ながら「春秋」の筆者は、「いかに自分の目が目の役目を果たしていないか」が身にしみたとのこと。つまり、筆者はそれまで、先入観をもってものや人を見てきた、しかしそれは真にその対象を見たということではなく、見ずして見たような気になっていた、つまり、自分の目が目の役目を果たしていなかったということでした。

 私たち老健施設で働く者にとっても、これはとても重要なことだと思いました。日々の業務の中で、「先入観という愛想のいい厄介者」は、私たちにとりついてはいないでしょうか?利用者と接する時に、相手を「見ずして見たような気」になってはいないでしょうか?もしそうだったらこれは大変です。利用者ひとりひとりに応じたケアができないことはおろか、重大な事象を引き起こす原因にもなりかねません。

 「目が目の役割を果たすこと」。利用者の心身の状態は一人ひとり異なりますし、同じ利用者であっても、その状態は常に同じではありません。さらに、私たちの仕事の一つ一つについても、「これはこういうものだから」という先入観を持って取り組めるものは、何一つありはしないと言えるのではないでしょうか。

 東京の国立新美術館まで行って、実際に「セザンヌ展」を観ることはできなくとも、セザンヌが作品に込めた思いをくんで、日々の業務に役立てたい、そう思った記事でした。

OZAKI

 「若者の代弁者」「カリスマ」「教祖」などと言われたロック歌手、尾崎豊が死亡したのが1992年の425日。そうです。ちょうど20年前の今日のことでした。享年26歳。あまりにも早すぎる死に、多くの人々が衝撃を受けました。ただし、その衝撃は最初若者が中心で、尾崎が言うところの「大人たち」には理解されず、雨の中で泣き、叫び、声をからして「15の夜」を歌う若者たちのその姿に衝撃を受けていた人たちも少なくなかったようです。その後、尾崎豊の人となりや、尾崎が歌に込めた思いなどが、様々な世代の人たちに知られ、受け入れられていきました。

 もしご存命であれば、46歳になっていた尾崎豊。介護保険の第2号被保険者です。「信じられぬ大人との争い」をしてきたと『卒業』の中で歌った彼は、果たして現代の若者にとって、「信じられる大人」となっていたでしょうか?『15の夜』で「100円玉で買えるぬくもり」と歌った「缶コーヒー」も、今では120円になりました。『17歳の地図』で「夢見がちな俺はセンチなため息」をついていた尾崎が『46歳の地図』を歌おうとすれば、相当な地図の塗り替えを余儀なくされ、「”口うるさい大人達のルーズな生活に縛られても”忘れなかった素敵な夢はどこに行ったんだろう」と、やはりため息をついていたでしょうか。「大人の代弁者」となって、中年の悲哀を若い世代に訴えていたでしょうか。

 今となってはそれを確かめる術もありません。しかし、尾崎豊は当時の若者、つまり今の中年層にたくさんの名曲を残してくれました。それらの歌は、この世代の人たちがいくつになっても、きっと心に残り続け、そして歌われていくでしょう。

 早いものであれから20年たってしまいました。今夜は久々に、尾崎の曲をじっくり聴いてみようかな、と思います。

最近の投稿

アーカイブ

カテゴリー

老健みやざきFacebook

TOPへ