雑談

進歩は反省の厳しさに正比例

 「進歩とは反省の厳しさに正比例する」と言ったのは本田宗一郎(『偉人のアフォリズム』、紫月尼蜜香、東邦出版)。

 介護の現場において、全ての利用者に対して全く同じケアが通用するわけではありません。100人の利用者には100通りの人生があり、それぞれの心身の状態や、様々な環境、本人および家族の意向などを汲んだ、100通りのケアが必要となり、そのためにひとりひとりのためのケアプランがわけです。

 そしてその実践はPlan(計画)→Do(実施)→Check(評価)→Action(改善・処置)→Plan・・・という「PDCAサイクル」を繰り返しながら展開されるのですが、その人その人のため、現状に甘んじることなくより良いケアを行うためには、特に「Check」のありかたが重要だと言えます。

 「完璧だと思っても、もうひと押しすればおまけが手に入る」と言ったのはエジソン(同上)。「これでいいっちゃない?」、「そうじゃね。これでいいが」、「じゃがじゃが」・・・ではなく、「もうひと押し」をしたからこそ、エジソンは数々の偉大な発明をしたわけです。 スタッフひとりひとりの、そして施設全体としてのケアの質の向上と進歩をはかるため、厳しい反省を繰り返していきましょう。

 1112日(土)には「第13回宮崎県老人保健施設協会研究大会」を、宮崎観光ホテルで開催する予定です。各会員老健施設のみなさんが、それぞれの現場での厳しい反省に基づく、すばらしい進歩の成果を持ち寄って、実りある大会にしましょう。

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こどもの日2016

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「甍(いらか)の波と雲の波、重なる波の中空(なかぞら)を、橘(たちばな)かおる朝風に、高くおよぐや鯉のぼり」・・・。

2016年もこどもの日がやってきました。昨年(201541日現在の子供の推計人口は前年よりも16万人少ない1617万人。1982年から34年連続減少とのことでした。そのせいでしょうか、最近は鯉のぼりが歌の文句のように元気にはためいている風景をあまり見かけなくなってしまったように思います。

また、429日の宮崎日日新聞には、宮崎県人口が39年ぶりに110万人を割って、今年の41日現在で1097932人だと載っており、「大変厳しいものがある」という県の見方も示されていました。少子高齢化が進んでいる本県において、その対策が急務であることを改めて思い知らされながら記事を読みました。

ゴールデンウィークとあって、各老健施設では利用者のご家族が面会に来られ、その中には孫やひ孫、さらには玄孫(やしゃご)などの小さなお子様もいて、利用者の皆様を喜ばせているのではないかと思います。

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子供の人格を重んじ、子供の幸福をはかる趣旨で制定された「こどもの日」。その健やかな成長を祈るとともに、高齢者も生き甲斐を持ち、地域ではつらつとした生活ができるよう、老健施設もその一躍を担うべく、諸機関や地域住民と連携を強化し、さらにその機能を強化していかなければ・・・鯉のぼりを眺めながらそのように考えた次第です。

みどりの日2016

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54日はみどりの日。「自然に親しむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ日」として平成元年(1989)に制定されました(もとは429日)。「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」と言われる通り、青葉が目に優しい季節となりました。

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【木漏れ日】

木漏れ日はなぜ いつも優しいのだろう

空と緑と太陽そして風が お互いを尊重し

仲睦まじく 連携をとりながら ちょうどいい具合に

共同して役割分担 しているからだよ

これって僕ら人間も 見習わなきゃね

そしたらきっと 僕らもなれるさ

だれかの木漏れ日に

 

上の写真は昨年11月に撮影したものですが、青空の下、心地よい風に吹かれながら葉ずれの音に包まれ、木漏れ日を浴びていると、心が洗われ、すっきりした気持ちになりますが、それは上の詩にあるとおり、自然を構成する様々なものが「他職種共同」することによるものではないでしょうか。

「これって僕ら人間も 見習わなきゃね」とありますが、他職種が連携して高齢者ケアにあたる老健施設に勤める者の一人として、この木漏れ日を見習い、他職種共同により利用者の皆様の生き甲斐を支えていきたいと思う次第です。

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太陽は燃えていない!?

 ゴールデンウィーク期間中ではありますが、老健施設に勤務されている多くの方はそれとは関係なく日々利用者の皆様のケアに励まれていることとお察します。医療機関等の多くが休診であることを考えると、むしろ平素以上の注意、観察、心がけをもって業務にあたらないといけないと思います。

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 「旗日(はたび)」という言葉をあまり耳にしなくなりましたが、祝日に各家の玄関や門扉に日の丸を掲げている光景もあまり見なくなりました。ところで「太陽は燃えていない」のだそうです。「まっかに燃えた 太陽だから 真夏の海は 恋の季節なの」と美空ひばりが歌って大ヒットした「真赤な太陽」、あれは間違いだというのでしょうか?

 「思わず人に話したくなる 地球まるごと ふしぎ雑学」(荒舩良孝、永岡書店)によると、「正確には太陽は燃えていない」とのこと。それは次のような理由から。

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(1)「燃える」とは「燃焼」のこと。燃焼とは「ある物質が酸素と結合する化学変化」のことを言う

(2)太陽の中心部分で熱や光を発生させているのは「核融合反応」。4つの水素原子から1つのヘリウム原子をつくることで、莫大なエネルギーを生み出している(表面温度約6,000度、中心部分では1,500万度!!)

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 「まっかに核融合反応した 太陽だから」では恋の季節という雰囲気ではないかもしれません。しかし同書によれば、太陽は1秒間に約400万トンもの質量を失いながら熱や光のエネルギーを生み出しており、まさに「太陽は身を削って私たちを養ってくれている」のだそうです。従ってその寿命には限りがあり、一説にはあと50億年とも言われています。

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それを長いとみるか短いとみるかは何ともはかりかねますが、地球に生物が存在できるのは太陽の恵みあってのもの。その恩恵を享受して日々を過ごしていることに感謝しながら連休中の業務に励みたいと思います。

さのぼり

 「さのぼり」とは田植え後の慰労会をさす宮崎弁で、田植えのあとの意味である「早苗餐(さなぶり)」から転じたのではないかと言われています(諸説あり)。

 弥生時代よりも古い縄文時代から始まったという見方が強くなっている日本の稲作。八十八もの手がかかることから「米」という文字ができたそうですが、田植機が普及する前の田植えは大変な労力を要し、家族や地域住民が協力し、子供も学校を休んで手伝ったものでした。それゆえに田植えが終わったら「さのぼり」をやって、労をねぎらいつつ、その年の豊作を祈ったわけです。

 様々な農業機械の中で、開発に最も手こずったものの一つが田植機で、宮崎県の農民発明家、河野平五郎が明治31年に田植機の特許第1号を取得した記録があるそうですが、実用に至るには長い年月がかかり、日本で初めて人力田植機が市販されたのは昭和40年のことでした。田植機の登場でその効率は飛躍的に向上。現在の田植機は一度に10条を植えられるものもあり、学校を休む必要もなくなりました。これにともない、「さのぼり」の風習も無くなったり、規模が縮小されてきているようです。

 田植機をはじめ、様々な農業機械の開発・普及により、農作業の効率化と作業負担の軽減がはかられてきたことは大変素晴らしいことですが、稲作を通じて培われてきた地域の連携、人と人との絆が弱くなっているのではないかと懸念されます。代々受け継がれてきた地域の伝統や文化が、継承者不足のため途絶えたというニュースも時折耳にする昨今、都市部への人口集中と地方の過疎化および高齢化という流れの中で、地域住民の拠り所として、地方の老健施設が担う役割は、それらも含めたところの多岐多様にわたるものとなっているのではないか?と思う今日この頃です。

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よい歯の日(4月18日)

 418日は「よい歯の日」でした。418で「よい歯」ということで制定されたそうですが、同じように118日は「いい歯」ということから「いい歯の日」とされているとのことですが、歯や口に関する記念日はたくさんあって、「歯の記念日」というホームページには21もの記念日が紹介されています。これは身体の他の部位と比べても非常に多いのではないでしょうか。

 近年、口腔環境が高齢者の全身の健康と密接な関連があることが明らかとなり、口腔ケアの重要性が注目されてきました。2015年の介護報酬改定で、経口維持加算・経口移行加算が充実され、各老健施設でもその取り組みが強化されていると思いますが、口腔ケアは単に「口から食べる喜び」を維持するだけでなく、全身疾患の予防のために非常に重要と言えます。

ですからこれだけたくさんの記念日があるのも納得できますし、そもそも毎日三度食事を摂るわけです。「口腔ケアに記念日はあっても休日はなし」・・・。そういう心構えで取り組んで参りましょう。

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一杯のコーヒーから(4月13日は喫茶店の日)

 413日は「喫茶店の日」。1888年のこの日、東京上野の日本初のコーヒー店「可否茶館」が開店したのだそうです。今から128年前、その当時のコーヒーとはいったいどんな味がしたのでしょうか?またそれを口にした人はどんな感想をもらしたのでしょうか。「一杯のコーヒーから夢の花咲くこともある」と歌った霧島昇の名曲「一杯のコーヒーから」では、赤いアラベスク模様のカーテンが風に揺れる店内で、主人公の男女がジャワ産のモカに角砂糖を2つ入れて飲み、肩を並べてセレナーデを歌っているようです。喫茶店でコーヒーを飲むのは、1939年の発売当時、とてもモダンなことで、人々のあこがれだったのではないでしょうか。

 現在は全国いたるところに喫茶店がありますし、全国チェーンのコーヒーショップもあります。また喫茶店のメニューも豊富になり、その楽しみ方、味わい方は多種多様。その人その人の趣向やこだわりに応じた注文ができる喫茶店も増えてきました。純粋にコーヒーを楽しむだけでなく、友人と語り合ったり、読書をしたり、流れる音楽に陶酔したり、・・・喫茶店はそういう時間と空間を楽しむことができる宝箱のようなところにも思えます。

 そう考えると、これからの老健施設を利用される方々の、生活歴における「飲み物」、「飲み方」、そして飲みながらの「過ごし方」などは、今以上に多種多様になってきます。したがって、水分摂取としての意味合いだけでなく、「飲む」という行為から波及する様々なことが生活の質、人生の質の向上につながるような提供方法を、その環境も含めて考えていかなければならない。一杯のコーヒーから夢の花が咲くように・・・「喫茶店の日」を迎えるにあたり、そのように思った次第です。

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偉大なる宮崎の山と川

    宮崎を代表する川、大淀川は延長107キロメートル。鹿児島県曽於市末吉町南之郷に発し、宮崎市の都心部の南で日向灘に注ぎます(Wikipediaより)。

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 写真は去る312日の夕方、宮崎市の相生橋北詰の付近から撮影したものです。下流から上流に向けてカメラを構えると、いったん右に寄った川筋が、その後ぐっと左に曲がって伸びているその先の西空に夕日が沈もうとしていました。

 

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その左側には標高1,57メートルの高千穂峰が、夕日に染まりつつそびえ立っています。鹿児島県と本県との境にあり、日向神話の天孫降臨で知られるこの山は、やはり宮崎(と鹿児島)を代表する名山のひとつです。太陽の恵みあふれる「日本のひなた」こと宮崎県で、宮崎の山と川が織りなすこの神々しい光景にしばし見入りながらシャッターを切りました。

 

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豊かな自然に恵まれた宮崎県。それは先人達のたゆまぬ努力によって守り、育てられてきた宝物です。私たちもそれを後世に残すべく、この自然を大切にしていきたいと思います。

梅と桜

 324日に宮崎で桜の開花が宣言され、県内各地の桜名所でお花見が賑やかに開かれました。本来なら南から北上していく桜前線、今年はなぜか宮崎は後れをとってしまいましたが、それでもちゃんと咲いてくれ、見る者を喜ばせてくれました。

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(↑雨上がりの青空に映える桜。花弁にはまだ水滴が残っていました)

 ところで下の写真は梅の花。2月末に撮影したものです。

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(↑からっと晴れ上がった青空の下、気持ちよさそうに咲いていました)

この梅と桜、そして桃は、春を飾る花の代表とも言えますが、似ているようで似ていないこれら3つの花の形にはそれぞれ次のような特徴があります(例外もあります)

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(1)梅:花びらが丸い

(2)桜:花びらの先が割れている

(3)桃:花びらの先がとがっている

(4)開花の時期も異なり、梅桜の順に咲く

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  梅、桃、桜。いずれも美しいのですが、和歌で「花」と言えば桜をさし、また日本の国花でもある桜は別格の感を覚えます。そして咲いて美しければ、散り際もまた美しいのが桜。来年の桜に思いをはせつつ、散りゆく桜を見送りたいと思います。

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(↑夜桜もこれまた良いもの。月とのコラボが雅です。これに鳥と風が加わると「花鳥風月」となるわけですね)

言葉はことのは

 

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【ことのは】

言葉はことのは。

優しい言葉は

優しい心に宿り

あたたかい光と共に

相手の心に届く

あなたの言葉は

あなたの心そのもの。

旅立たせるその前に

よくあたためて

それから送り出そう

 

「広辞苑」で「ことのは(言の葉)」を引くと「(1)ことば。古今恋『思ふてふことのはのみぞ秋をへて色もかはらぬ』(2)和歌。源桐壺『やまとことのはをも』」と載っています。

 新年度になり各老健施設等でも新人職員が就職し、その方々を対象にした研修・教育が行われることと思います。その中で必ず実施されるのが、利用者に対する接遇、とりわけ「言葉遣い」ではないでしょうか。

 「利用者の親身になったケアの実践」、「利用者を自分の家族だと思って親しみやすい態度で接する」、「利用者には自分の家だと思って生活してもらう」ことなどは、いずれも利用者本位のケアを行うために大切です。しかしそのために「利用者になれなれしい態度や言葉遣いで接する」ことは、一歩間違うと高齢者に対する非常識な考えが横行し、それが施設内で「常識」と化し、さらには虐待に発展する危険性をはらんでいます。従って利用者やご家族に対する正しい言葉遣いは極めて重要だと言えます。

 昨年103日、当協会の事務長会と看護・介護研究部会が合同で開催した「masa氏 第2弾講演会」の中で、特別養護老人ホーム緑風園の菊地雅洋元総合施設長(※)が「介護現場の割れ窓理論」について説明されました。これはアメリカの犯罪学者による「割れ窓理論」をもとに、菊地総合施設長が20年以上前から提唱されている理論で、(1)割れた窓を放置しておくと、割られる窓が増え建物全体が荒廃していく、(2)介護現場の割れ窓は「言葉」である、(3)言葉の乱れが常識ではない感覚麻痺を促進させ虐待につながる、(4)言葉を正しくすることで心の乱れをある程度までは防ぐ効果もある・・・というものです。

 建物の窓が1枚割れているのを放っておくと、「ここは誰もいないのかな?割れていてもどうってことないのかな?」という印象を周囲に与え、1枚が2枚、2枚が3枚、そして建物全てのガラスが割られ、その建物はもとよりその周辺地域全体へと破壊と荒廃が拡大していくという「割れ窓理論」。私たち介護の現場における「割れ窓」にあたるのが「言葉遣い」だと菊地総合施設長は警鐘を鳴らされました。

 新しく施設に入った職員は、先輩職員の仕事ぶりや言動を見習って自分のものとしていきますが、その先輩職員の言葉遣いが「親しみやすさ」という名の下でなれなれしく、横柄な1枚の「割れ窓」だったとしたら、「そうか、このような言葉遣いと態度で接しないといけないのか」となり、割れ窓は縦横に拡散し、虐待や施設の崩壊につながりかねません。

新人を対象にした研修が行われるこの時期は、それを迎える私たち一人一人が、自らの「ことのは」という窓を見つめ直し、もし割れていたら直ちに修繕する、そのためにも大切な時期だと言えます。

私たちの言葉は、私たちの心そのもの。旅立たせるその前に、よくあたためて、それから送り出しましょう。

(※)菊地雅洋総合施設長は3月末日に緑風園を退職され、4月からは介護老人保健施設クリアコート千歳で勤務されていますまた、「北海道介護福祉道場あかい花」の代表も務められており、執筆や国内外での講演活動など、精力的にこなされています。

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